甲子園という国民病

 甲子園が湧いている。全国高校野球選手権は今日の午後2時に決勝戦を迎える。金足農高が東北に初の栄冠をもたらすか、大阪桐蔭高校が史上初となる二度の春夏連覇を達成するのか、朝のテレビ各社は大いに盛り上がっている。

 悲惨な戦争が終わり、戦後の自由な空気の中で高校野球は発展し、懸命なプレーと純粋さで日本の文化として成長していった。100回記念の今大会にマスメディアは、これでもか、これでもかと懐かしの場面を流し続けていた。

 自分のために書いているようなこのブログで、わたしは何度か甲子園について書こうとしたが、辞めた。スムーズに書けないのだ。書かなければと思うのだが、無駄なことをしているようでもあり、いつしか「やーめた」となってしうのだ。

 日本にはいくつかの病があると考える。国会でウソをつきまくり、福祉予算を削ってでも再軍備に向かおうとする政権党が変わらず多数を占める。世の中に忖度がまかりとおる「事なかれ主義」。そして、高校野球における犠牲滅私の連投、連投とそれに熱狂的支援を送る国民性。煽るマスメディア。

 先日NHKテレビのノモンハン事件のドキュメンタリーを見ていて感じたことだが、日中戦争につながった日本とソ連の衝突が相手の戦力分析なしに行われ、多数の犠牲を出しながら今もって責任の所在があいまいなこと。今の政治や高校野球の実態も戦前の延長線上にあるのかもしれない。

 投手の連投が賛美され、甲子園での活躍がプロ野球との契約金に直結する現状。中学生や保護者、指導者は甲子園出場可能な野球強豪校へのコネを持つ硬式野球クラブ(シニア、ボーイズなど)に集中し、そのためにはと、小学生の頃から野球に打ち込む。今は小学生の試合過多や肩、肘の故障が問題視されている。

 これは日本の「病」である。氏原英明氏が「甲子園という病」(新潮新書)で「影の部分」に目を向けて、投手の酷使、上意下達の古い指導方法、楽しみではなく苦痛となっている食の指導(たくさん食べさせて体を大きくする)に改善を呼びかけているが、高校野球にどっぷりのめり込んできた氏原氏の苦悩や矛盾も垣間見られる本である。

 片や異なる流れも始まっている。大阪の中学生が16歳でロイヤルズとマイナー契約を交わした。甲子園よりも大リーグに魅力を感じて。社会人野球パナソニックスのエースが日本のプロ野球を経ずにアメリカへ渡ることを表明した。

 日本の高校野球もよし、プロ野球もまたすばらしい。しかし価値観は一つではない。甲子園の光の部分だけを意識的にクローズアップするのではなく、影の部分にもきっちりと目を向けなければ日本野球の発展はない。

 次回は日本水泳の躍進と日本野球の違いを描いてみようと思う。

 

 


シニアの昭和史 独り言 (還暦野球スポコラ改題)

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