アジア大会水泳と順大同窓会
栃木県足利市在住のK君から最終案内が届いた。二年ごとに開催される順天堂大学体育学部昭和47年度卒の同窓会の案内状である。世話役のKさん、えらいな、手紙の末尾に自筆で「遠方より ありがとうございます。楽しみにしています!」と書いている。
お礼を言うのはこちらの方。計42名と3組夫婦で48名を全国から迎える準備こそ、ありがとうといいたい。鬼怒川温泉ってどこだったかな?以前に送ってもらったパンフを取り出していたら、大阪府泉南(貝塚市は泉南?)に住むM君から連絡が。「たけもとくんよ、7時に草津インターでMやんとKを乗せるから、滝野・社インター(中国道)へは5:30頃に着くよ」。明るくでかい、「たっちゃん」の声。9月中旬の同窓会が迫ってきた。
浮き立つ気分だけではない。69歳の秋だ、二つ三つと訃報が入る。大学時代は陸上部の補欠選手で4年になった春に部を飛び出した苦い思い出もある。それもこれもひっくるめての大学時代、久々に若かった自分に会おうか。となれば懐かしいのは特に親しくしていた友人たち。その一人日本水連の現役コーチS君と会えないのはちょっと残念だが。
私の住む西脇市は先般2020東京オリパラのホストタウンとしてオーストラリアの卓球チームと正式な調印式を済ませた。わたしは市の担当者を介して水泳コーチ(セントラルスポーツ所属)S君に依頼した。「すまない、スポーツ庁長官鈴木大地氏に祝電など依頼できないか」と。最終的には慣例上の問題か祝電はなかったが、S君を通じて長官の言葉が返ってきた。「私の名前は自由に使っていただいて結構ですよ」。Sはすごい人物なのだ。
パンパシフィック水泳大会の最中、わたしはSにメールを入れた。「S君よ、君らはすごいな。世界で萎縮する日本人を見慣れた目には、日本水連の凄さを実感させられるわ。池江璃花子、どんなメンタルトレ?」。返事はこうだ。「選手の意識が高い。世界と戦おうとしている。大地(ソウル五輪で金メダルの鈴木大地選手のこと。現スポーツ庁長官)ぐらいから変わってきている」。
とすれば、日本の水泳界を変えたのは君じゃないか、とわたしは返信した。アジア大会中、プールサイドで池江選手と談笑するSを見ながら、彼の人生に興味を持った。(以下の記録は2010.6.16から三回にわたって掲載された株)クロスビーによるインタビュー記事を参考にしたものである)。
最初の教員採用試験(新潟県?)に失敗したSは、創業まもないセントラルスポーツでのアルバイトを水泳部仲間から紹介された。当時は学校のプールを借りていたという。1年後教員採用試験に合格したが、会社や仲間の熱気に触れて残る決意をしたのだった。
昭和47年当時は3店舗だったセントラルスポーツは160店舗を構える堂々たる会社に成長した。昭和57年には民間初の「セントラルスポーツ研究所」を設立して科学的トレーニング導入の先頭に立った。彼はいいことを言う。「水泳の技術指導だけじゃなく、ジュニア時代から礼儀など人間教育にも力を入れています。結果的に水泳界のクリーンなイメージにつながっていると私は思います」。
その日本水連は現在、「派遣標準記録」を明確にして世界大会に選手を送っている。忖度の入る余地を失くしたのだ。民間スイミングクラブと水連の努力が、クリーンで強い現在の水泳界を形成していった。株)クロスビーのSBOインタビュー記事ではスーツでネクタイのSが身振り手振りで語る姿が写る。
他にも彼の金言は多い。「小・中生は技術面・技術面ともに一から教えるが、高校生からは、育てるのではなく、自ら育つ事が出来なくてはならない」。これなどは高校野球の現場に教えてやりたい内容だ。最後にSはスポーツ業界で働く上で大切なことと聞かれて、こんなことも語っている。
「人間を好きなこと、だと思います。たとえ特別な技術がなかったとしても、明るさと誠意があり、人を元気にすることができればこの業界でやっていけるでしょう」。彼が力を発揮している間は日本水連に不祥事は起きない.わたしは確信している。そして偉そうにしない素朴さ、彼の人間性も不変だ。
日本の水泳界を変えたのは君じゃないか。パンパシ大会後そんな気持ちをメールにした。「じゃ、君が日本を変えたことになる。大きな仕事をして、今も現役、がんばれ!」と。彼は応える、人間味ありすぎる素朴さで。
「マージャンよ。トップとらないと」
マージャンがSコーチ誕生の原動力だった?そういえば学生時代よくやってたな。では言い直そう。日本水泳界を変えたのはマージャンだった!(笑)
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