大一番を制す

 10月2日は古希野球の公式戦で甲子園浜へ遠征だった。6:20三田駒ヶ谷公園集合で6:30出発。となると、起床は4:30。遠征の日は3:30に目が覚めて、その後はうつらうつらとまどろむのみ。熟睡なんてとてもとても出来っこない。

 さらに右脚(ふくらはぎ)に不安を抱えている。ランニングはまだまだ無理だから、調整はウォーキングとウェイトトレーニング&ネットピッチが中心となる。試合前に飲むロキソニンは必携。とてもベストコンディションとは言えない状態で迎えた甲子園スター戦だったが、この大一番は絶対勝利しなければならなかった。

 この日まで、三田プリンスは7勝1分け。甲子園スターは7勝2分け。東地区の首位攻防戦というわけ。勝った方がグンと1位に近づく(兵庫県を東西の二地区に分け、それぞれに1位を決めて、11月16日に東西の首位通しで優勝決定戦を行う。計14チーム)。全国大会ではちょっと情けない投球だったから、勝敗云々よりも、チームの信頼感を得ることが最優先となる大切な試合。

 準備体操で内転筋がつった。「やばいぞ」と思ったが、気にしないことにしてウォームアップへ。球が走る。セットポジションの新フオームもなんとか行けそうだ。初回に三田が2点先取、打てるチームはありがたい。その裏、先頭打者にヒットを打たれ、四球を。その後は安打なしで1点取り返された。だが三田プリンスは打撃力があるチーム、5点を追加して7-1のまま再終回へ。その間わたしは全力で投げる感覚が戻ってうれしかったのだが、満塁と攻められること二度、ベンチを冷や冷やさせながらも、打たれる気はしなかった。最終回に1点取られて二死満塁、最後の打者を空振りの三振に取って一カ月ぶりのマウンドを守ったのだった。タイムリーヒットは一本も打たれていない。

 経験の蓄積はありがたい。30年前のカーブを使ったら、それが効果的だった。7イニングの中でさまざまな修正があって、勝利投手に結び付いた。ピッチング内容に不満を持つ人がいたら、野球の事或いは投手のことがよくわかっていない人だなと、軽く流していこうと思っていた。なにせ故障を抱えてやっているのだから。これで三田プリンスは、8勝1分け、甲子園は8勝1敗2分け。グンと優勝に近づいた。残り3試合もわたしは勝つ予定だ。エースの責任を果たした後は最高の気分だった。

 夕食には家内が刺身と日本酒を用意してくれて、乾杯!同時に「明日からは2日間、庭の草刈と掃除」と厳命するのを忘れなかったが。久しぶりの7イニングス全力投球は体にこたえる。そこへ作業の二日。「おいピッチャーのしんどさをわかってくれよ」といたって、「好きでやってて何甘えてる」と反論されるのがおちだから黙って作業をこなした。

 明日、軟式野球協会の連絡をすませて、多可町の図書館に本を返却すれば、6日からは島根県へ4泊5日の同窓会旅行が待っている。6,7日は松江市、8日は隠岐の島、9日は玉造温泉泊。10日は出雲大社に詣でて昼食を摂り、そこで滋賀・大阪の二人、東京からの三人、石川県の一人、それから島根の世話人と別れる。2年後の青森開催で全員が揃う保証はない。

 古希野球に勝って、大学の同窓会へ。許可してくれるパートナーに感謝しながら、温泉で脚を癒し、日本海や宍道湖の幸をたっぷり味わって来ようと思う。勝ててよかった。


 

 

 




シニアの昭和史 独り言 (還暦野球スポコラ改題)

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