あの頃学校は熱かった

 わたしと卒業生を結び付けたのはF先生だった。2月5日(日)F先生のお通夜でN君夫婦と出会った。二人は西脇南中学校の卒業生である。Nは野球部、K(旧姓)は水泳部、ともに学年では目立った存在だった。「オレ、今でも先生と出会ったら怖いわ」(N談)と周囲に漏らしていた彼と、奥さんはお通夜の受付に居るわたしに向かって「先生、一度飲みたいわ」と儀礼上のあいさつをして帰っていった。Nは再婚でKさんは初婚。懐かしいふたりである。

 最近まで子どもの野球を通して付き合いのあったI君から電話があったのは10月中旬の頃。「先生、N夫婦が飲みたいといってますけど」4人で会いませんかといってきた。彼らは本気だったのだ。もちろん承諾した。しばらくするとIから再度の連絡が。「人数増えたから場所を変えます。11月3日の18:00、ギョーザの〇〇へ来てください」と。「どうせワルばっかりやろな、了解」。そしてその夜、和室のふすまを開けると。

 野球部からは4人。A君は長身のアンダースロー投手。ライパチ(ライトで8番打者の意)のいつもひょうひょうN君。わざわざ広島から「もみじ饅頭」のお土産持参で帰省してくれたのはまじめだったK君。彼は東播大会準決勝でサヨナラ勝ちに導くヒットを打った。さいごは、頭にそり込み入れたりタバコを吸ったりしていたが野球センス抜群だったN君。陸上部からは世話人のI君と旧姓Kさん(神戸で飲食2店舗経営)、ソフトボール部の投手だった旧姓Hさん、そして水泳部だった旧姓Kさん(現N君の妻)。わたしを入れて計9人の宴会となった(二次会で野球部だったK君が登場した)。

 文化祭で壇上をローラースケートで走ったことや、先生たちに叩かれた痛い思い出が飛び出る。「うちの家でタバコを吸っていて、場所提供の責任で叩かれた」などなど。「野球部厳しかった、宝殿中(加古川市)、岩岡中(神戸市)、社中(加東市)へ合同練習や試合に行って、怒られてばっかりで」。「もう今やったら大問題になるでぇ」と全員が笑う。そう笑っているのだ。彼らはいう。「理不尽な叩かれ方じゃなかったから」と。だから恨んではいないという。思えば当時の先生たちは幸せだった。こういう生徒たちがいて、思う存分、体当たりで生徒たちに向かって行けた(もちろん反省点は多々あるのだが)。

 「とにかく西脇中に負けたくなかった」。大規模校をやっつけるのだと南中野球部は猛練習をやった。やはり思い出話はそこへ落ち着くか。夜11時となって9人は別れたが、卒業生との語らいはすばらしく爽やかな時間だった。こういう有志の同窓会は楽しいものだ。

 彼らとは当時のアルバムを眺めながらの思い出話だったが、後日本棚から当時の記録(製本した冊子)を取り出した。題して「南中野球部の歩んだ道 ~僕らは こうやって 西中に勝った~ 昭和62年度 西脇南中野球部三年」。時は昭和62年11月14日、場所は加美町「青年の家」、部活動引退後に合宿をして野球を愉しみ、夜に3年間を振り返る座談会を持って、それをテープに残して書き起こしたのがこの記録である。35年ぶりに彼らと出会った後だけに、一つ一つの出来事が鮮明に蘇った。

 『では今から、エー(一同笑い)アハハハ・・・。南中野球部はなぜ強くなったか、その話をします。一番最初に、今日ここへ来る前に長谷川先生に聞いたが、藤賀先生や松橋先生が「南中祭(文化祭の事)の演劇も野球部が中心にやってくれている。主役も大道具も。野球部が合宿に行ってしまうと困るからメンバーを集めておいてくれよ」と言われたそうだ』。こうやって始まった座談会は約60ページに及んだ。35年たっても色あせない学校教育と部活動に関する教訓が含まれている。冊子の最後をある教師が締めくくっている。

 「編集後記 野球部の三年生へ。よい文集が出来た。あの日、加美町の黒土の良いグラウンドでレベルの高いゲームをやって、裸で(当たり前やけど)風呂へ入り、ご飯も食べてジュースも飲んで、それで話したから本音が出た。成績はたかが知れている。しかし君らは偉かった。ひとつ、勝とうとして西中に勝った。前年度東播(地区)一位校に勝った。ひとつ、学年全体の子と仲が良かった。学年を変えた。ひとつ、H先生を変えた。そして僕にまた一つ自信をくれた・・・(略)・・・これ(君ら)以上の生徒と成績をつくるんやったら全国大会へ行くしかない。しかしこの本を教科書にしたら可能な気もする。何年かのち、加美町・青年の家で同窓会やな」

 場所は違ったが、野球部と陸上部と水泳部の卒業生で同窓会が出来た。「学年全体の子と仲が良かった」姿が再現されている。あの時代、先生たちは良い生徒たちに囲まれていた。理解ある保護者にも恵まれた。これからの人生で卒業生にお返しできるとしたら、軟式野球協会の理事長として、地域のライターとして、あるいは古希野球の現役投手として、地域やスポーツに貢献する道をしっかり歩むことだなと、考えさせられている。うれしい有志の会だった。




シニアの昭和史 独り言 (還暦野球スポコラ改題)

輝くシニア発掘~中高年に励ましを~

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