「生涯現役」とは言うけれど
古希野球の公式戦(二試合目の交流戦も含む)が終了した。兵庫県還暦軟式野球連盟登録の12チームを東西に分けてのリーグ戦。小雪がちらつく1月末に練習を開始し、2月には練習試合をふたつこなして3月6日に開幕を迎えた今シーズン。季節は冬から春へ、史上初の猛暑を経て短い秋の季節となって、いつしか寒気の中での終盤戦。
昨日11月20日(月)は三田駒ヶ谷公園野球場へ「尼崎ポパイ古希クラブ」(以下、尼崎)を迎えての最終戦。野球経験者の多い尼崎は強いはずなのに、なぜか今年は4勝5敗2分け。遠征などは人が集まらないとは聞いているが、それにしても不思議だ。片やわが三田プリンスは10勝1分けの負けなし。となれば全勝で終えたいところ。だが尼崎は強かった。3人の投手を繰り出して目先をかわすのだが、3投手ともに四球はゼロ。三田を4安打に抑えた。
右足の故障がほぼ回復しているわたしはセットポジションからの投球フォームが完成し、深く握るカーブが有効で、こちらもゼロ行進。7回を終えて双方無得点で0-0の引き分けとなった。「古希でこんないい試合なかなかないよ」皆がそう唸った好ゲーム。「うちは出来すぎだ」(尼崎の捕手談)。試合後のあいさつには特別の感情が湧いた。「来年また会いましょう」と両チームの笑顔が清々しい。三田10勝2分け、尼崎4勝5敗2分け、満足の最終戦だった。
負けなくてよかった。責任を果たせたエースの全身は充実感でいっぱい。これもメンバーがいてこその話し。人がいて、組織があって、全員の協力があっての古希野球だ。人はかっこよく「生涯現役」でいようと口にするが、その過程は「艱難辛苦」の舞台裏も存在する。わたしは人に恵まれているのだ。
「人に恵まれている」といえば、今回出版の企画を提供してくれたK氏もまた、わたしを「生涯現役」へ誘ってくれている。11月10日の四者会談で合意を得た企画とは。「今里 純氏 書籍 企画書」のこと。内容は以下のとおり。
・タイトル(案)
ベースボールと野球を繋いだ男
・帯 案
日本のDr.イマザト、この実況が聞こえるかい?Can you hear this game , Dr,Imazato? 戦後まもなく、兵庫の田舎町・西脇で進駐軍向け短波ラジオの大リーグ中継に熱中したひとりの歯科医師。大リーグ関係者にその存在が知れ渡り、日米両球界の架け橋となった今里 純。錚々たる伝説の野球人たちが続々と登場し、知られざる昭和の一大プロ野球史をここに・・・。大リーグに関する、3000点に及ぶ歴史的な「今里コレクション」の中から厳選、カラー32ページで公開!!
K氏の慧眼に驚く。自らサッカーのプレミア・リーグ観戦にスペインへ赴き、ワールド・カップへも足を延ばした感覚が今里 純氏を捉えたのではないか。取材先候補には、王貞治、吉田義男、丸山完二、鈴木啓示、三好一彦氏などが。取材地候補には、甲子園歴史館、野球殿堂博物館、さらにはアメリカ野球殿堂博物館(NY州クーパーズタウン)やデトロイト・タイガースが浮かんでいる。そして帰路は自然豊かなポートランド(オレゴン)で西脇市出身の知人に出会おうと、K氏とわたしは意見が一致した。
野球も研究も出版も、一人ではできない。志を同じくする人によってこそそれが可能となる。「生涯現役」への歩みはだからこそ価値があるのだろうと思えるようになった。まだまだ気力をなくしたり、物忘れをしたりできないのだから、先を見据えて努力努力の日々を送ろうと決意する、古希野球投手であった。
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