中国で草野球 北京の研究者と邂逅

 自宅から歩いて10分のところに隠れ家的焼き鳥屋が出来て2年が経つ。若夫婦が経営するその店は感じが良くて、夕方5時に入って店が混み始める7時前に帰宅するのがわたしたち夫婦の利用パターンとなっている。といっても月に一度あるかないかの、常連とは呼べない客である。

 12月8日、その店へ北京大学大学院の研究者がやってきた。中学校3年時の生徒、Y君である。ビザの関係で一時帰国した彼は、東京で様々な所用を済ませ、わずか3日の帰省を得ることが出来、貴重な一夜をかつての担任とグラスを交わすことになったのだった。

 Y君の中3時の印象は沈思黙考、賢さがうかがえた。冷静さの内に激しい情念が燃えている感じもした。周囲は問題行動も多くけっして静かな環境ではなく、それにじっと耐えながら自分探しを続けていたように見えた。西脇中学校から西脇高校へ進学した彼は物理の先生に惹かれ、東北大学で物理学を学んだという。

 人間の出会い、邂逅は不思議なものだ。高校時代に部活動顧問の言うことを素直に聞かなかったわたしを責めもせず、50年後の今、W先生(元高校駅伝優勝8回の名指導者)はわたしにスポーツや人生の話をしてくれる。大学時代のスーパースターも、補欠の一部員であったわたしに大学駅伝や日本陸上界の今後について深い話題を提供してくれる。その後の生き方、人生の在り様が人間を結びつけていくのだろうか。Y君もそのひとり。

 物理学に飽き足らず、社会科学的関心を捨てることが出来なかった彼は、科学技術史に研究のウエィトを移していった。塾講師、新聞記者、大学講師を経て2003年、社会研究を中心とした博士研究生として北京大学大学院に留学することになる。Y君は真面目で、正義感の強い研究者として今日に至っている。

 彼が代表を務める「北京日本人学術交流会」は、歴史、経済、政治から特撮やアニメに至る幅広い分野の「知的、学術的会話」を提供し、その交流会は現在350回を数えるに至った。著作や論文も多く、北京の雑誌やラジオにも登場する。彼は小中高の先輩、大島みち子さん(若くして骨肉種のために死去)の恋人との往復書簡をまとめた「愛と死を見つめて」の中国版をコーディネートしている。「愛と死を見つめて」はテレビドラマになり映画化され、吉永小百合の代表作となった。

 だが、難しい話ばかりで焼き鳥を食べていたのではない。ビールのグラスをおかわりしながらY君は、野球の歴史にも造詣が深く、話題はアメリカ、日本そして中国の野球で盛り上がった。中国では潜在的野球ファンが2,000万人はいるという。ビジネスチャンスもある。「北京で草野球をされるなら案内しますよ」。さりげない彼の言葉が突き刺さる。外国で実際にプレーすることができるのか。わたしはこの手の誘惑に弱いのだ。

 北京の野球を紹介する日本人留学生の記事を拝見し、北京大学の構内地図を広げるともうアカン。8月には古希野球の公式戦がない、北京に行くならちょっと暑いがその頃になる。中国の野球仲間とプレーをし、料理を食べ、ビールのグラスを傾ける姿を想像してしまった。禁断の実を食べた、感じである。

 Y君との2時間は終わった。彼はストゥールの下から書物で膨れ上がったふたつのバッグを持ち上げた。ズッシリと重かった。研究者としてのY君の、これまでの人生や想いが詰まっているように感じられた。それはわたしに知的生活の大切さを再認識させる。

 彼はもう北京で研究生活をスタートさせているだろうか。北京は寒さが厳しいかもしれない。健康を祈りたい。さあ、来年はまず北京へ。そしてロサンザルスだ。

 


シニアの昭和史 独り言 (還暦野球スポコラ改題)

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