2019年 70歳ルーキーの初夢

 元旦からの三が日が過ぎ、息子たちは名古屋へ、茅ケ崎へと帰って行った。ラスベガス近郊でHappy Holidays を過ごす長女からはLine電話が入った。年老いた両親のもとへ半ば義理で帰省しているのかもしれないが、年末年始の4日間は騒々しさの中になにがしかの安心感を伴ってベッドに入っていた。家族の良さというものだろうか。そして我が家は今、静かになった。

 生活エネルギーの大部分を占める障害者施設の運営も始まった。4日始動。増えた利用者の居場所づくりと新事業のクッキー作りも課題となる。管理する野球場では中学生硬式野球クラブの練習があり、日頃のつきあいから夕刻にトラクターに乗ってグランドを整備したが、夜には税務署へ提出する源泉関係や年末調整等の書類づくりと賀状整理が待つ。「今年は自分の時間を持つ。早急に後継者をつくるのだ」と思っていたら、そうしないといけない状況が生まれた。

 「Merry Christmas and a Happy new year」、年末のこと、サンタモニカのSさんにメッセージを送った。すぐに携帯へ英語が飛び込む。「I will let R/F know you want to return next year for the Arizona tournament. Talk to you soon.」。瞬間、わたしの心身は10歳若返る。

 Sさんがわたしに、再びアリゾナで野球をやろう、参加しないか、するならすぐに監督のR・Fさんに連絡するよと言ってきた。ロサンゼルスのビーチで一日ランニングなどで調整し、Sさんとともに飛行機でフェニックスへ飛ぶ。そこからレンタルカーでテンピへ。ホテル「HYATT PLACE」に旅装をといて、翌日からはMLBの各キャンプ地(カブス、エンジェルス、マリナーズなど)で連戦が始まるのだ。青空と緑の芝、様々な顔の色。またその地へ行けるのかと、2019年を迎えて草野球オヤジはワクワクしてきたのだった。

 「アリゾナで行われるMSBLの草野球大会」。さっそく検索した。Sportic.comを開くと次のような記事があった。「メジャーのキャンプ地で行われるオヤジたちの夢の祭典、草野球ワールド・シリーズ(そこに1年前にプレーしたテンピ・ディアブロ・スタジアムの写真)。MLBのポスト・シーズンは一か月続き、オクトーバー・マッドネスと呼ばれるが、同時期にフェニックス近郊では草野球オヤジたちが6日間で8試合の過酷なスケジュールをこなしていく。大谷翔平選手と同じフィールドに立って・・・」と、記事は続く。

 冗談じゃないぜ、大谷選手よりオレの方が早くマウンドを踏んだのだ、同じプレート板に足をかけたのはオレが先。何の自慢にもならない感慨を呼び起こしながら、わたしは10月のアリゾナの青い空を思い返した。行くしかないのだ。2004年にフロリダのベロビーチ(当時はドジャータウン)で野球をするために早期退職したくらいだから、アメリカで野球をと誘われたら、ホンマに弱い。

 1年前は体調不良で納得のいく結果を得られていない。今シーズンは三田プリンスの古希野球にデビューし年間を通じて鍛えていくから、きっと最高の状態で秋を迎えるはずなのだが、そこは70歳、何があるかわからない。幸い女房の反対はない。なぜならネコたちの相次ぐ死によって1996年以来、2人そろっての海外旅行が可能となったからだ。

 女房を娘の自宅、マリーナ・デル・レイ(ロサンゼルス)においてのアリゾナ・トーナメント。疲れ切って帰れば孫たちとの一週間が待つ。書いていて自分で驚くほど単純で気楽な初夢。だが、実現するとなったら楽しい限り。古希を迎えるのだ。夢を持てたらそれこそ「最高の人生」ではないか、とパソコンの前でずっと笑みがこぼれるわたしの2019年、新春の初夢。

 友人、知人すべてのみなさんの健康を祈念しながら1年のスタートをきろうと思う。

 

 


シニアの昭和史 独り言 (還暦野球スポコラ改題)

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