不思議な縁

 晩酌をやめている。アルコールに興味のない方はちょっと理解できないでしょうが、仕事を終えて入浴し、風呂上りに焼酎なりビールなりを少し飲むときの心地良さは格別。それをやめている。特に決心や誓いもなく、自然にやめて、それで夕食後の仕事や勉強が可能になった。

 昨夜は一冊の本を読み終えた。「金栗四三 消えたオリンピック走者」(潮文庫)、著者は佐山和夫。佐山は1996年に「59歳のドジャースキャンプ体験記」を書き、それがわたしのベロビーチ行きを先導してくれた。2004年当時ベロビーチ(フロリダ)にはドジャータウンがあり、大リーグドジャースの往年の名選手がコーチをしてくれる夢のようなベースボール・キャンプがあると、佐山は教えてくれたのだった。

 そのキャンプに2004,2006年と二度にわたって参加した。ブルックリン時代、ドジャースの投手だったラルフ・ブランカ(故人)や、故ジャッキー・ロビンソン(黒人初の大リーガー)の隣にロッカーを持っていたカール・アースキン、あるいは1995年に野茂英雄が海を渡ってドジャースに入団したときのピッチング・コーチ、デイブ・ワレスや読売ジャイアンツで原辰徳とクリーンアップを打ったレジー・スミスなど、そうそうたる往年の名選手と寝食を共に出来たわたしは、今もそのときに知り合った仲間とロサンゼルスやアリゾナで野球を愉しんでいる。

 佐山和夫の本はすぐに買う。高校野球連盟の事務所(大阪)で会ってドジャース・キャンプへの申込書をいただいた恩もあり、彼の著作になる本は全部読んでいる。今回の主人公は金栗四三。1912(明治45)年のストックホルム・オリンピックに日本人として初参加。

 2020年の正月は茅ヶ崎(神奈川県)で箱根駅伝を見物し、母校順天堂大の応援をすると決めたとたんに、NHK大河ドラマで「いだてん~オリムピック噺~」が始まり、先立つ2ヶ月前に佐山和夫が金栗を取り上げた。不思議な縁。

 金栗四三はストックホルム(スェーデン)のマラソンで意識不明となって途中でコースから消えている。暑さと緊張と、初の海外遠征の孤独感や体調不良が重なり、多くの選手同様、完走することが出来なかった。意識朦朧として民家の庭に入り、椅子に座っていたという。

 世界のスポーツ事情を見聞した彼は、帰国後に全国各地でランニングの楽しさを伝え、今につながる箱根駅伝、福岡国際マラソンなどを創設し、女性スポーツの発展にも尽力したという。大阪は道頓堀のグリコ・マークのモデルは金栗だそうだ。

 ストックホルム大会のマラソンで金栗はゴールしていない、役員は本人に棄権を確認していない、だから彼はずっと走り続けていることになっていた。そんな彼にストックホルムから招待状が届く。1967(昭和42)年オリンピック55周年行事に来てほしい、と。

 オリンピック委員会は正式のゴールテープを用意し、75歳の金栗四三がゴールインのポーズをとった。「日本の金栗四三選手、ただいまゴールインしました。タイム54年と8ヶ月6日5時間32分20秒3」。そしてさらにひと言。「これを持ちまして、第5回ストックホルム・オリンピック大会の全日程を終了します」(この項佐山による)

 なお金栗の故郷は熊本県玉名市。熊本市から電車で北へ約25分の場所に遺品が並ぶ歴史博物館や墓所があるという。わたしは仕事で2月に熊本市へ赴く予定がある。足を延ばせば彼の人生に会える。不思議な縁ではないか。

 ストックホルムの人たちは親切で優しかったそうだ。庭に座り込むマラソン走者を介抱したペトレ家と金栗の交友は彼が亡くなるまで続いている。実はクーベルタンは第4回までのオリンピックに幻滅していた。自国主義と偏狭な国家意識でトラブルも続出。何とかしてオリンピックを良い方向へ持っていきたい、そう思った彼はアジアの日本という国と嘉納治五郎という人物に目を向けた。

 東京高等師範学校の校長だった嘉納治五郎は柔道を生み出し、1896(明治29)年から弘文学院という清国留学生のための学校をつくっている。13年間で3810名の卒業生を輩出した。中には「阿Q正伝」の魯迅もいた。金栗も嘉納の教え子である。

 クーベルタンはいう。

 「おお、スポーツよ。汝こそ名誉。その栄誉は完全な公正さと無私の心から来ていてこそ価値を持つ」

 嘉納治五郎は国際的な視野を持っていた。「精力善用 自他共栄」の理念は、スポーツをとおした相互理解や世界平和を映し出しているようだ。7年前、わたしは兵庫教育大学大学院で学んだが、そのときの指導教官は嘉納治五郎研究で有名なN教授だった。午後のひととき、コーヒーを飲みながらN教授はいった。「戦後、学校教育の現場でいち早く柔道が復活できた裏にはGHQも認める嘉納先生の思想や行動が在った」。

 母校、順天堂大学の箱根駅伝応援、金栗四三の人生、クーベルタンと信頼関係を結んでいた嘉納治五郎。佐山和夫にN教授。人が勉強できるためにはこういった不思議な縁が重なり合うものだ。2月の熊本行もある。22日から始まる古希野球三田プリンスの初練習を前に、ちょっぴり引き締まる週末だった。

 だが、2020年東京オリ・パラに世界中の人たちを迎える今の日本に、はたして世界に誇るべき公正さはあるだろうか?世界平和の先頭に立っているだろうか?オリンピック委員会に嘉納治五郎のような人物はいるのだろうか?といった心配は消えない。

                       (文中敬称略)

シニアの昭和史 独り言 (還暦野球スポコラ改題)

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