「おもしろくて、ありがたい」初練習

 正確には還暦・古希野球(三田プリンス)の練習は二日目で、ボールを使用しての練習が初という日(平成31年1月22日)、わたしは前日からワクワク、テンションがかなり上昇した。夕食のメニューは焼肉だったが、猪口2杯の日本酒で気分よく酔った。

 仕事を休む気楽さもあったが、いよいよシーズンが始まるという歓びが興奮を高めたのだろうか。年齢には関係がないということ。10時半過ぎに三田市に入ると、立杭焼の窯元が閉鎖されている。すぐ先の料理屋の入り口にもロープが張られ、約3ヶ月の間にも世の中の移ろいが感じられた。

 「ウッディタウン南」のサンマルク・カフェへ。パン一つとコーヒーを注文し文庫本片手にしばしひとりの時間を楽しむこととする。この時間が野球への歓びを倍加させるのだ。外気は寒く、店内は暖かい。ユニフォーム姿のオッサンは(髪も少し白い)池波正太郎の「おもしろくて、ありがたい」(PHP文庫)を取り出して読み始めるのだった。

 解説の八尋舜右が池波正太郎の言葉を紹介する。「人間は必ず死ぬんだから、意にそまぬ仕事はしないものだ」。古希野球デビューの練習初日になんと素晴らしい言葉なのだろう。仕事をとるか、野球をとるかと問われたら、もちろん「野球」。そんな自分を励ますような言葉ではないか。

 三田谷球場へ入るとブルーのジャンパーを着たSさんに近寄る。固い握手。Sさんはヴェテラン捕手。野球の虫。心臓には金属のパイプが数本埋め込まれている。そのSさんが悪性腫瘍で「余命〇ヶ月」を宣告されたと耳にしたのは昨シーズンの最中だった。見た目に元気がなくなっていくようだった。Sさんはわたしを見て「若いなあ」とつぶやいた。気のせいか羨ましそうな表情だった。

 監督Nさんはいつも言っていた。「野球で少しでも元気になったらええがな、あいつには野球しかないんやから」と。Sさんはゲームを休むことなくDHとしてバットを振り、塁上を巡った。余命宣告の時期も過ぎ、Sさんのその後が気になっていたら、なんと、「病も癌から腫瘍へランク落ち」したという。監督から電話をもらっていた。だからSさんと固い握手を交わした。すごくいい顔色で、野球が命を救ったと思った。

 体操、ストレッチ、外野一周のランニング。キャッチボールまでに息はハーハー、みんなよくやるわ。60歳~80歳のメンバーが練習をこなしていく。見上げる空は1月とは思えぬ陽気。汗がにじんで体の芯から野球ができる歓びを感じた。

 またシーズンが始まる。池波正太郎はこんなことも言っている。「人間の一生というものは、ことに男の場合、幼児体験によってほとんど決まるといってもいい」。ならば、遊びとて野球しかなく、村の天神さんや小学校の校庭で野球をやった経験が、三角ベースを愉しんだ世代が、飽きることなく今も野球に親しんでいるということになる。

 誰からも強制されない野球。道具もない時代の野球。保護者や監督、コーチもいない自分たちだけの自治の野球。遊び心満載の少年野球。古希野球の選手たちはタイムスリップして、そんな時代に生きているのかもしれない。「おもしろくて、ありがたい」初練習だった。

 

シニアの昭和史 独り言 (還暦野球スポコラ改題)

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