「あぁ 上野駅」
相次いで訃報が入る。昭和47年度順天堂大学体育学部卒業生ふたりが亡くなったという。島根の住職F君からの情報。ひとりは静岡県出身の短距離選手N君、なかなかの男前、今でいうイケメン、ソフトな表情で走っていた。記録も良かった。もうひとりは島根県のM君、純朴な印象の棒高跳び選手。筋硬化症を患っていたらしい。合掌。
この学年の同窓会が昨年9月鬼怒川温泉で催されたとき、二次会でマイクを握ったTちゃんは守屋浩の「僕は泣いちっち」を熱唱 ♪ぼ~くの恋人東京へいっちっち ぼくの気持ちを知りながら なんでなんでなんで どうしてどうしてどうして 東京がそんなにいいんだろう♪ スーパーエースだったK君は埼玉出身なのに歌うのは ♪どこかに 故郷の 香りを乗せて 入る列車の懐かしさ♪ なぜか井沢八郎の「あぁ上野駅」。思えば昭和43年の春、みんな大志を抱いて上京していたのだ。「TOKYO」は当時のわれわれの憧れの地だったのだ。
そんなわけで、今でも上京の際はワクワクしている。愛猫も亡くなり夫婦二人が心置きなく旅することが出来るようになった1月26日(土)、わたしたちは姫路発ひかり468号の人となった。寒波襲来の強風にあおられながら午後四時前にシェラトン都ホテル東京にチェックイン。白金台ってなかなか閑静な場所なんだ、と本当は東京を何も知らない二人は池波正太郎の「散歩のとき何か食べたくて」(新潮文庫)を頼りに夕食に出る。
タクシーで目黒駅前へ。目指すは創業60年の上海・四川料理の老舗「香港園」。入り口左手には若き日の王貞治選手(当時読売巨人)と店主、従業員との写真が在る。作家・池波正太郎も贔屓にしていた店である。こちらは本格的な中華を愛でる舌を持たない。美味しい、おいしいと食べるだけ。驚いたのは紹興酒の美味さ。紹興酒は種類が多く「ピンキリ」なのだそうだ。田舎の西脇で飲む紹興酒はきっとキリ?東京のそれは砂糖など必要としない美味しさだった。
翌日の会は華やか。侍ジャパンを率いる元日本ハムの稲葉篤紀さんがいて、女子プロゴルファーの面々がズラリ勢ぞろいしていた(およそ8人)。東京のビジネスマンも多数いて、その柔らかい言動や服装のセンスに感嘆する自分がいる。稲葉さんは大きい体格で握手の手は分厚くごつごつ。そして人柄がいい。まったく偉そうにせずに謙虚そのもの。
会の雰囲気が気に入り、同席した人物とも気が合い(その人は集団就職で秋田から上京されている)、わたしは厚かましくも秋田出身者とともにマイクを握った。ふたりで「あぁ 上野駅」を熱唱したのだ。♪ホームの時計を 見つめていたら 母の笑顔になってきた♪ もちろん「秋田さん」の方がうまい。故郷を想う気持ち、母への愛情にあふれた歌声は稲葉さんの手拍子を生み、女子プロの笑顔を誘ったが、わたしの売りは派手なジェスチャーのみ。
女房に語りかけた。ありがたいな、この歳でこんな人々と同席出来て。確かに生きる力をいただいた。これからの10年を元気に歩むためのエネルギーをもらった感じがした。精神的、経済的苦労をしながらもりっぱに招待してくれた二人に感謝したい。やっぱり東京はいつ来てもすばらしい。
翌日、田舎の夫婦は東京スカイツリーからビルが乱立する東京の街を眺め、品川駅の二階レストランで昼食をとって(この店が自然派でおいしかった)久々の東京をあとにしたのだった。
新幹線の車中で古希野球の投手は微笑む。「1年ごとにアリゾナで野球をしています」と言ったら、握手をしながら稲葉監督は「また教えてくださいよ」と笑った。やっぱり、東京はええわ。
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