朋 遠方より来る
浅学の身なれど、「朋遠方より来る また楽しからずや」は、確か孔子の論語にあるはずで、このような言葉を思い出すのは本当に、久方ぶりのことだった。
就労支援施設に居ると一本の電話が。「タケモト君?Sです、小学校の同級生だった」。とっさに思った。「またその種の電話?」。その根拠は最近とみに多くなる選挙目当ての電話だった。高校以来出会ったことのない同級生が神戸から、一度しか会っていない京都の人から、はたまたスポーツ関係の東京人から「Ko党をよろしくお願いします」と電話がかかる。拒否はしない。皆、信じるところがあって懸命に、邪心なく支持政党を応援しているはずだから、「ご苦労様です」と丁寧に応対することにしている。しかし、千葉から、また?
義兄の車でやってきたその人は、1965年の3月、西脇中学校の卒業式以来の対面だった。気になる人物ではあった。成績優秀、上品、柔らかい物腰。大声で話し、すぐにケンカするようなわれわれとはちょっと違う世界の子弟だった。富田町の織物工場跡の彼の自宅で遊んだ日もあった。その名はS君、彼が言った。
「久しぶりですねえ、中学校以来、ぼくもタケチャンも小学校卒業時に私学の中学校を受験して落ちたよね、修学旅行の”いろは旅館”でぼくは小便で黄色くなったパンツのN君と一つの布団にくるまって寝てました、Aチャン(女性)にも会いたいし、今回は高校の同級生7人と淡路島で飲むんだけど、この機会にぜひ君に逢いたくて」寄ったのだとS君がほほ笑んだ。なんだ、選挙じゃなかった。純粋に、懐かしい同級生を尋ねてくれたのだ。
デザインが好きで、ガラス工芸の会社(東京)で働き、ニュージャージー(米国)に3年も居た彼は、今は千葉県の佐倉市は長嶋茂雄の生家跡に近い場所で悠々自適の生活を送っている。S君の目は小学校時代のように澄んで、やさしい人柄を髣髴とさせる。多忙な帰省のひとときをわたしとの時間に費やしてくれた彼の心に感謝して、わたしは頭を下げて義兄の運転する車を見送ったのだった。
S君も歳をとった。互いに不足ない年齢となった。人はその時代に何を懐かしむのか。我が家の奥の間で先祖の写真に手を合わせる日が多くなる。幼い頃に育ててくれた祖母がいて、隣には4月に亡くなった母がいて、右端には5年前に亡くなったオヤジの遺影がある。手を合わせる息子、70歳。
人との付き合いで、政治的な信条で、仕事や生きざまで、自分に恥ずかしいことだけはしまいと写真に誓うわたしがいる。そして小さな自分の力でも人々に健康や、人生にチャレンジする勇気の大切さを伝えることが出来るのではないかと思う。
古希野球の結果を神戸新聞三田版で知ったある知人は、「健康であるってことはすばらしい。若い!」と喜びのメールを送ってきた。自分の一挙手一等足が周囲の人に(特に同世代の)影響を与える年齢になったのかもしれない。
今日も夕刻、野球場の周りをランニングしながらスマホから流れる歌に耳を澄ませるのだった。♪ 歌をうたって いたあいつ 下駄を鳴らして いたあいつ 想いだすのは故郷の道よ みんないっしょに離れずに ゆこうといった 仲間たち ♪
歌手の顔は舟木一夫ではなく、S君。ありがとうS君。「君の母校、順天堂大学体育学部はわたしの町に在るから、また会えるよね」。会えるとも、S君、このまま会えないなんてことはある訳がない。朋 遠方より来る また楽しからずや。歳をとるのもいいものだ。
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