サッカーワールド杯「ラピノー劇場」
最近はもっぱらインプット専門で、書くこと(アウトプット)につながらなかった。歳とともに深く感動する事柄が少なくなっているのは確かである。感動のない世の中になった、そう感じているが(次回に書く予定の古希野球の世界は別にして)、世の中はそれほど捨てたものでもない。心あるメディアは存在する。
7月9日の新聞各紙は、サッカーの女子ワールドカップ(W杯)フランス大会の結果を掲載した。7日リヨンで行われた決勝戦で米国が2-0でオランダに勝利し、2大会連続の優勝と通算4度目のVを成し遂げている。
米国の女子サッカー人口は167万人、比べて日本は5万人。この差は何だ?今大会に出場した36歳のロイド選手が語っている。「タイトルナインなしにいまの私は考えられない」と。米国の教育法第9編は、国の教育機関で性差別を禁止するとした法律のことである。それがタイトルナイン。1972年の法律施行から大学の女子スポーツ選手が増加し、予算も増えた。
さらに個性的な記事が続く。今大会で6得点を記録して大会最優秀選手に選ばれたラピノー選手は優勝しても「ホワイトハウスに行かない」と明言したのだそうだ。「自分たちと同じ思考を持って同じ目標に向かっているとは思えない」からと、アメリカ合衆国大統領を批判した。最近にない個性的な記事ではないか。
ラピノー選手は同性愛者である。男女サッカー界の待遇の差に疑問を呈し、また彼女は「平等な社会」を提唱する。そんなラピノー選手を称して日本のあるメディアは「個性発揮”ラピノー劇場”」と見出しを付けた。日本のスポーツ界ではなかなか聞けない言葉である。忖度がない。ラピノー選手もこの日本のメデッィアもまさに個性的だと思う。
去る6月25日夜、わたしは就労支援施設「ドリームボール」の利用者であるA君とふたり、西脇市黒田庄町「くろっこプラザ」での講演会に参加した。講師は宍粟市に住む前田 良氏(37歳)。講演のタイトルは「パパは女子高生だった」。女性に生まれ、高校生まで女性だった前田さんは以後、男性として社会生活を過ごされている。性同一性障害。
第三者の男性から精子をもらって、奥さんは二人の子どもを出産。2013年12月11日、最高裁が夫婦の実子として認める判決を出した。第三者から精子の提供を受けた子を夫婦の実子として認める画期的で先駆的な判決だった。
そんな苦労話を聞いた後での「ラピノー劇場」。わたしの古い昭和の頭でも、新しい平等への胎動は感じることが出来る。スポーツが多くの人々に感動を与え、社会を変えていく。
米国女子サッカー選手の記事に触れ、前田さんの話に感動し、映画「新聞記者」を鑑賞するわたし、古希野球選手は、日本社会では少なくなった「本物の感動」を求めて、これからの人生を形成する決心をしている。
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