えっ、もう70歳!?

 明日で古希を迎える。不思議な思いがして仕方ない。誰でもそうなのだろうか。山や川で遊んだ少年時代、ウナギはもちろん魚がたくさん獲れた澄んだ水。お宮さんの境内で野球に明け暮れた日々。中学高校時代は陸上競技に熱中し、大学の運動部からやがて教師の道へ。

 1964年の東京オリンピックが後の人生に決定的な影響を与え、スポーツに明け暮れる人生に。中学校の「田舎教師」は「二十四の瞳」の世界を胸に秘め、陸上部や野球部の指導に熱中しながら31年、地域の歴史にちょっぴり記憶に残る仕事を成し遂げた(と思う)。

 就職してからの余暇は地域の軟式野球チームでプレーする。23歳~4年間は捕手と外野手。西脇市A級の首位打者も一度獲得。27歳から投手に転向し、今年で44年目の投手人生を過ごしている。概算では300勝を超える草野球人生である。その間、よい女房のもと、一姫二太郎に恵まれ、孫も3人(もうちょっと増える見込み)。アメリカへの家族旅行は2回。個人的に10回以上渡米、サンディエゴ、ロサンゼルス、アリゾナ、そしてベロビーチ(フロリダ)で野球修行。現地の友人もたくさん持てた。振り返ると随分しあわせな人生であったのかも。

 だが、町内の仕事からは逃げまくり、一切の役に就かずに我儘を貫く。田舎の暮らしにどこか背を向けていないと「何か」に埋没するとでも感じたのだろうか。大学の4年間以外はずっと生まれた町に住んでいるのに、「ふるさとは遠きにありて思ふもの  そして悲しくうたふもの  よしやうらぶれて   異土の乞食となるとても  帰るところにあるまじや     ひとり都のゆふぐれに ふるさとおもひ涙ぐむ   そのこころもて    遠きみやこにかへらばや   遠きみやこにかへらばや」

 室生犀星の詩を口ずさみながら自分を客観視する己がいた。そして70歳。これからの人生で物書き(ライター)を目指す理由はやはり「ふるさと」にある。ともに生きて若くして亡くなった同級生、人の心を教えてくれた恩師たち、貧しい環境で野球の素質を埋没させた男たち。自分が生きた時代や人間を描きたいと思う。文章力云々は言わないことにして。

 そのためにはさらに柔軟な思考力が必要だ。先日は古希野球の試合で痛い目にあった。6-2で迎えた最終回、一挙に5点も取られて6-7で敗戦投手になってしまった。ストレート中心の単純な配球だった。もちろんチーム力が投手の出来に微妙に影響はするが、わたしがちょっと緩い球を使うなど工夫できていればチームを勝利に導けていたはずだ。

 敗因は10年前の、60歳の頃のピッチングをやっていることにある。「もう70歳」の自覚が必要なのか。いつまでも速球、三振をめざすな、いいかげんに上手な投球をしないといけない、と思う反面、西脇市が生んだプロ通算317勝の鈴木啓示さん(彼は被ホームラン数が多い)の言葉に共感もする。「ホームランは男の向う傷」。

 速球にこだわって見事に散るか、はたまた柔軟に変化球を多く混ぜることが出来るのか。これからの人生の成果はすべてがこの二者択一にかってくるように思えてきた。「変化するものだけが生き延びる」。9月9日の古希野球には新しいスタイルを獲得し、70歳からの生き方に大いなる指針を得ようではないか。

 2019年9月5日。古希の誕生日を明日に控えた今朝、わたしは4時に目が覚めた。


 

シニアの昭和史 独り言 (還暦野球スポコラ改題)

輝くシニア発掘~中高年に励ましを~

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