追悼、ある日米野球ツアー(1)
思えば何度彼らと野球をしただろう。それは神奈川県秦野市の中井球場であり、神宮外苑軟式野球場だったり、他には江戸川区の運動公園だったり都内の野球場であったりしたが、アメリカから野球ツアーが来るたびに、わたしは上京して彼らとともにプレーをしてきたのだった。
ニューヨーク、シアトル、ハワイ、サンディエゴ、ロサンゼルスと、彼らの住む街は違っても、肌の色が異なってはいても、野球への情熱と異文化吸収への意欲は旺盛だった。横浜の海を見下ろす外国人クラブで在横浜アメリカ人チームと対戦したのも素晴らしい思い出だ。
東海大学病院グループの好意でバーベキューを囲んだり、ツアー主催者のジョン・バセラー(当時はハワイ在住・故人)と大崎駅前の居酒屋で食事をした後に日本の銭湯で日米文化交流もしたし、彼の案内で六本木のクラブも経験できた。仕事や費用を超えて恩恵を被ってきた日米交流野球の歴史。
2年前のジョンの死によってアメリカ人野球ツアーの歴史も途絶えたかのように思えた。日本での留学経験を持つジョン・バセラーは日本文化に精通していて、わたしのような野球フレンドを快く迎えてくれていた。だから、もう二度と、「あんなに楽しい野球を経験する機会はないだろう」とさみしく思っていたところだった。
そんな折、ハワイ在住の日系三世(ということは日本語がほとんど話せない)ニール・フジワラさんからメールが来た。「ジョンの追悼で野球ツアーを実施します」。またやってくるのだ。帽子とジャージ(ユニフォーム)は作りますとのこと。わたしは永年慣れ親しんだ背番号#11を希望した。9月20日(金)、関空発のJALで羽田へ。マイルがたまっていたから女房の許可が下りたのだろう。
羽田から京急で横浜へ。そこからJRに乗り換えて辻堂を目指す。けっこう時間が掛かる。その夜は茅ヶ崎で一泊、夕食にはおいしい蕎麦屋で日本酒も楽しめた。食事、宿泊はどなたかの好意で無料。翌朝は茅ヶ崎の海岸で江の島をバックにアメリカ風のブレックファースト。サーファーやジョギング姿の人々を眺めながらの朝食はまるで別世界の出来事だった。
昼は辻堂の中華料理屋で美味いラーメンを。そうだ、その前には葉山のマリーナへも行った。ここも別世界。日頃西脇市黒田庄町の山の中で一日過ごす身には驚くばかりのきらびやかさ。午後1時、食事をともにした知人の車で神奈川県秦野市へ向かう。集合は午後3時。7年前にプレーした球場を再び訪れる興奮もあってか、わたしには楽しい道中となった。
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