心に栄養を~大学ミニ同窓会in大津~

 中高年の特徴は「感動」の場面が激減することだと、誰かが言っていた。

 順天堂大学体育学部昭和47年卒業生は2年に一度、同窓会を持っている。これは稀有な学年といえる。昨年の9月は鬼怒川温泉(栃木県)に45名と同伴者3名を含む48名が顔をそろえた。勿論、というべきかどうかわからないが物故者11名、そんな年齢に達した学年だ。

 鬼怒川では現状の隔年開催を継続するか、はたまた毎年会合を持つかで意見が分かれた。準備の時間、年齢、経費を鑑み当面は隔年で行こうと決まったが、2年後は島根県での開催。「それではさみしいなあ、みとやん」と、我ら6人(かつての陸上部中長距離ブロック有志たち)は栃木の帰路一泊をともにした河口湖畔の居酒屋で話し合ったものだ。

 みとやんは大津の住人。実家はNHK朝ドラ「スカーレット」の舞台となっている信楽で、陶芸家の次男。かくてわれわれは、「では、来年の10月7,8,9日、琵琶湖で会おう」と約して東京、山梨、滋賀、大阪、兵庫へと帰って行ったのだった。1年は速い。6人に加わること2名(石川県と島根から仲間が来てくれた)の計8名が去る10月7日、大津市の南郷温泉で元気に再会を果たした。

 浴衣に着替えて夕食。わたしの同室はKくん。学生時代の名ランナーで、卒業後は13年間の中学教師を経て社会人F企業の陸上部立ち上げに参加、永らく監督を務めた。日本陸連マラソン部の要職にも就いていた。日本陸上界の第一線で活躍してきた人物は、わたしの目標でもあり、信頼すべき人間として密かに敬愛する男だった。

 彼は全国高校総体(インターハイ)第20回大会の5,000メートル優勝者。記録は大会史上初の14分台となる14分41秒2。この記録はその後9年間破られなかった(その後彼は14分18秒まで高校記録を短縮)。大学選手権はもちろん、日本選手権の5千、1万のチャンピオンにもなっている。大学4年進級時に退部したわたしに、「君は今でも僕らの仲間だから」と世界陸上大阪大会時に電話をくれたのも彼の配慮だったと聞く。その男と枕をともにして、睡魔と闘いながら、日本陸上界第一線の歴史を知るわたしだった。

 二日目は比叡山へ上り改修中の根本中堂を見学、そして琵琶湖周遊汽船「ミシガン」に乗船してランチ。琵琶湖バレーのロープウェイは堪能出来たが頂上は霧の中。その夜は大津プリンスホテルに宿泊して盛大なバイキングに盛り上がる。夕食前は琵琶湖の周囲を歩行&ランニングを25分。9日最終日は信楽の郷で高名な陶芸家のご指導で陶器づくりを体験させてもらった。来年10月10日、島根での同窓会では焼き上がった各自の「ぐいのみ」で乾杯することだろう。

 若い日に共通の夢を抱いて千葉県習志野市に集まったわたしたちは、4年間同じ寮や合宿所、あるいは下宿に住んでスポーツに明け暮れた日々を持つ。それは出身地や言葉、その後の人生を超えて人間的な結びつきを深くする。

 信楽ではおみやげに陶芸家作のお茶碗をもらった。贅沢な夫婦茶碗。スカーレット色のきれいなものだ。そのお茶碗を使用するたびに、同級生の顔と信楽、習志野のグランドが想いだされる。これを感動と呼ばなくてどうする。そう思うのだ。

 楽しい3日間を過ごして帰宅した翌日、わたしは還暦・古希野球の練習に参加していた。NHKの4K番組取材班が三田市の駒ヶ谷公園野球場へやってきてフィルムを回した。ここにもわたしの感動がある。

 台風19号の大きな被害は決して他人事ではない、気象変動のツケはどの地域に来ても不思議はない。政治も経済も、社会全体も、庶民の「感動」を奪う材料で満ちている現在、屈するものかと、これからも古希野球メンバーや順大同窓生とエールを交換していくぜと誓う秋だった。

 

シニアの昭和史 独り言 (還暦野球スポコラ改題)

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