公的な仕事を整理中~自由への序章~
今日も「ドリームボール」の利用者十数名は元気に帰っていった。送るスタッフはわたしの同級生が二人、大学院の先輩(年齢はずっと下)、趣旨に賛同して5年間働いてくれている管理者と女房の5人。いい仲間に恵まれて障害福祉事業所を運営できた。これからはさらなる事業の拡張を若い後継者が引き継ぐ予定だ。
70歳に達してからは公的な仕事を次代に引き継ぐことを考えてきた。現在はNPOスポーツアカデミーの理事長として、スポーツ関連ではバスケットボール教室(担当者あり)を開催し、障害福祉事業としては野球場、テニスコートの整備、管理を行なっている。週5日以上の勤務状況である。
わたしにライターへの憧れや夢もなく、古希野球、還暦野球への烈しい情熱が存在しなかったら、それはいつまでも続く仕事だったのかもしれないが、そうではなかったらしい。 自由時間確保のために後任者を探した。そして見つかった。来春2月からは週2回程度の自由出勤となることがほぼ決定した。となると、他の公的任務も完了形とならざるを得ない。
7年前に創設した西脇・多可硬式野球クラブ「西多可シャイン」(活動は7月~12月末)の代表職もめでたく有能な後継者が見つかった。12月21日の土曜日、神戸市の「ほっともっとフィールド」は予報を覆す好天で、9:00~13:00までシャインの紅白戦(お別れ試合)が実施された。イチロー選手がプレーをした球場は天然芝の美しい装いを見せていた。
センター後方のバックスクリーンに選手たちの名前が並ぶ。アナウンサーは元甲子園球場のウグイス嬢、K・Hさん(神戸市在住)。球場のボルテージが上がる。見事な演出に選手同様、保護者の皆さんが大喜び。試合後は親子で、友人同士で記念撮影。シャイン代表(わたし)さいごのご奉仕というところ。
翌22日(日)は地元西脇市のふれあいスタジアムで野球教室。講師は元プロの捕手Hくん、教え子になる。3年連続の教室ながら投手の指導は毎年勉強になる。野球教室終了後は彼とH君の後輩であるK君三人でランチ。「また年明けに!」。彼らと別れると、解放感と同時に一抹の寂しさが一度に押し寄せて、珍しく疲労感を覚えた。
社会的な仕事を後輩に譲ること、簡単なことのようだが、その後に自分の目標を持っていないとこれがなかなか難しい。思えば激動の7年だった。大学院入学と卒論、NPO創設、野球クラブの活動から障害福祉事業所の設立と運営。そしてこれは今後も関わることになる「鈴木啓示 草魂カップ少年軟式野球大会」(来年度は第8回)のお世話。
多くの方々の世話になった7年間だった。まずは女房にじっくりと礼を言おうかなと思うクリスマス。さあ、次の目標は、もう決まっている。
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