野球シーズン到来!

 1月19日の西脇市の天候は曇り、12:00現在で気温9度、15:00の風速は2m。書斎の窓からは一応冬景色らしくは映ったが、20日(日)の今朝はまたまた陽光が差し込んで窓から見る景色は、春。TVのサンデーモーニングではオーストラリアの火事と合わせて地球温暖化を訴えていたが、兵庫県の中部でも「雪が見たいわあ」と口にする人が増えている昨今だ。

 となれば、いよいよ野球シーズンの到来まじか。野球を愛した俳人・正岡子規の言葉を借りて、「春風や まりを投げたき 草の原」(大好きでよく引用している)。例年、12月の最終練習日が終わるとガクリとさみしくなる。その日から始まる「なが~い」冬に気が滅入るのだ。そして本棚からアメリカ野球の本など取りだして陰気な気分を和らげようとする。

 「Wait  Till  Next  Year」(来年があるさ)。歴史学者のグッドウィン(女性)が大好きな野球(ドジャース)と自分の人生、家族の歴史を併せて描いた傑作。時は1950年代、アメリカ野球の黄金期、1949年(わたしが生まれた年)のワールド・シリーズはドジャース1勝、ヤンキース4勝であっけなく幕を閉じる。ドジャースがニューヨークに居てブルックリン・ドジャースと呼ばれたころの思い出。エベッツ・フィールド(今は存在しない)に躍動するデューク・スナイダー(殿堂入り外野手)、カール・アースキン投手、新人だったクレム・ラバイン(投手)。だが負けた。少女はつぶやく。「来年があるさ・・・」。選手だけじゃなくファンもオフ・シーズンは嫌なのだ。本を読むとよくわかる。

 2004年、2006年のベロビーチ(フロリダ)ドジャータウンでわたしは、90歳近くなったデューク・スナイダーと写真を撮り、カール・アースキンと語り、クレム・ラバインからはカーブの投げ方を身振り手振り、教えてもらった。あかん、またや、ながくなる。これ以上書くのはやめる。兵庫県は西脇市で草野球の経験しかない男の自慢話は「犬も食わない」。

 だが、あさって火曜日は初練習。この冬はよく歩いた。ランニングも適度にこなし、ウェイトトレーニングも継続できた。もちろんネットピッチングで肩も準備万端、いつでも投げられる状態だ。ただ腹部の脂肪だけはまだまだ元気だ。昨日は還暦野球の若きエースから「先輩の力を借りて優勝を目指します」とメールが届き、「1月は出張が多く思うような調整はできませんが、今年は初戦から面白い試合が続くので準備します」とやる気を見せている。あと2日で練習が始まる。陰鬱なオフよ「サヨウナラ」。野球選手にとって、季節はもう春、なのだ。

 「なぜこんなに野球が好きなんだ?」自分に問うことがある。岡崎武志著「貧乏は幸せの始まり」にヒントがあった。その昔、小学生低学年のころ雑誌「野球少年」(なんと郷里の大先輩、超有名な横尾忠則氏もこの雑誌を愛読していたらしい)に触発されて野球の世界に身を投じたが学校の部活動経験はなし。ユニフォームもスパイクも子供会の少年野球大会で年に一度身につけるのが精いっぱい。新品のグラブなどもってのほか。石炭箱に少しの軟式ボールと固くなったキャッチャーミットがあるだけの野球環境。

 小学校5年生から中学校3年生までの「村の子」が集まって、自由に打ち、守り、ムチャクチャにベーラン(ベースランニング)をやって、あとは小学校東側の「宇野パン屋」でアイスクリームを食べれば子どもたちの一日は終わった。川での水泳や魚とりもあったな。現在の学童(小学生)みたいなかっこいいユニフォームも規律正しい練習も、年間200試合を超えるハードな日程もなかった牧歌的時代の話。「だから今も野球への情熱が衰えない」。わたしの確信。さぁ野球が始まるぞ!その上ずった気持ちを、「来年があるさ」の著者ドリス・カーンズ・グッドウィンの言葉で締めよう。

 「(彼らが)これほど熱くなるのは、古き良き時代のスポーツ選手やチームを思い出すからではない。昔の自分の姿、若くて溌溂としていたころの自分自身の姿が、まざまざとよみがってくるからだろう」


  (このコラムを、30歳を前に若くして逝った無二の親友、玉田節夫にささげる)


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