一皮むけた?野球技術

 2月4日(火)は四月を思わすような暖かさで、わたし自身二度目の練習会は満足できる内容だった。参加者も多く、監督は「プロ野球もキャンプイン、われわれ三田プリンスも今日からまた気持ちを入れ替えてがんばりましょう」と皆を和ませた。ケガだけせんようにな、と加えるのだけは忘れなかったが。

 仕事を完全にリタイアしたわたしは今シーズン、古希野球だけでなく還暦野球の試合にも参加できるようになった。たくさん野球ができる、2試合終了まで存分に愉しめる(1日に公式戦、交流戦を実施する)、慌てて帰路に就く必要もなし。しかしね、そんな幸せな気持ちの反面、すでにメンバーが固まって強力なチームを形成している還暦野球に「どんな形で入っていけるかなあ」と一抹の不安も抱えていた。練習に参加するまでは。

 そこへ歓迎できない知らせが。セカンドのレギュラー選手が「けが」でしばらく参加できないとのこと。「君がセカンドの練習をやってくれ」(監督)。こうして幾分気楽に内野手としての練習に取り組めてきた。それで驚いたのが自分のセカンド守備、上手いのだ。ホンマ。難しいバウンドも、速いゴロも、もちろんショートバウンドも。上手なノッカーであるKさんが、「うまいなあ、歳を取るとスナップスローができないもんやけど、上手いわあぁ」とほめた。意外だった。えっ、オレってうまかった?そんなことはない。ピッチャーしかできない不器用な男だったはずなのだ、わたしは。それが急にリラックスできて体がボールと一体化している。ひとつ、思い当たる節はあるのだ。

 90歳の恩師がある人に言ったという。「あいつは人間として一皮むけたな」と。事業所の若者たち(精神にハンディを持つ)と恩師の部屋を片付けたことがあって、そのときのわたしと彼らとの言動から成長を見て取った、ということなのか。うれしい評価だった。そういえば昨日もこういうことがあったのだ。

 私の代表引退、理事長辞任をどこかで耳にした若者二人がやってきた。手には高価な花束と美味しそうなチョコレートが握られて、花にはメッセージカードが添えられてあった。「先生、ご苦労さまでした」。素朴な字。聞けば、花屋で「70歳で今も野球をやっていて、元は30年間体育教師だった人にあう花をください」って注文をしたらしい。かわいいことを言ってくれて。握手をして記念撮影をして、熱いインスタントコーヒーをすすって、真夏の金ゴマ栽培の作業を「しんどかったなあ」と振り返ったのだった。ともに汗を流し、冬のグランドで落ち葉を集めた思い出をしばし懐かしんだ。

 涙が出るなあ、ありがとうな、君らのやさしさで6年間の苦労が報われた思いがする、またラーメンで同窓会をやろうな、心の中で彼らに感謝した。別れた後のLine。「先生、ありがとうございました。僕とFさんには父がいません、先生はぼくらのお父さんでした、いつまでも僕らの心で輝き続けます、僕も統合失調症の者でもやれるんだという見本になります。僕はもっともっと魅力ある人間になって、先生に恩返しします」。何度も事業所を出たり入ったりして一部スタッフと利用者から低評価を受けたN君の言葉だった。そんな若者が花束を携えてやってきたのだ。

 彼らとの交流がわたしを一皮むかせたってわけだ(短気は治ってないが、それは正義感の裏返し、ということで)。野球はグランドだけで上手になるものではない。人間的な成長が技術を向上させる。改めてそんなことを学ばせてくれた「精神障害」と言われる若者たち。「一皮むけた」わたしは、彼らのためにも今シーズン愉しい野球をやらなっくちゃ。


シニアの昭和史 独り言 (還暦野球スポコラ改題)

輝くシニア発掘~中高年に励ましを~

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