君の職業は?「野球」
カリフォルニア(というより全米)でオリンピック実施にしがみつく日本政府への不信感が増幅しているという。そんなことや、新型コロナにあえて言及せず、野球の話題を。
今、君の仕事は何だい?聞かれたら躊躇なく、「野球」と応えざるを得ない。16日(月)みぞれ交じりの冷雨も舞う中、甲子園浜(神戸市)で2020年古希野球開幕戦が実施された。三田プリンスvs甲子園スター。練習試合の機会なくいきなりの公式戦。結果は0-4の敗戦だった。
セットポジションで投げた。人生初の試み。6回まで0-0の緊迫した試合だったが、1つのエラーからいつものように4失点。3日後(19日)は神戸市東灘区の深江球場で還暦の開幕戦に出場。還暦の三田プリンスは強い。K投手の力投とワンチャンスをものにするバッティングで好投手を攻略したのだった。わたしの仕事はそのチャンスに送りバントを決めたことくらい。問題は第二試合、つまり成績には関係のない交流戦でのこと。「ピッチャーが誰もいないんですよ」と言われて投げることにした。もちろん16日に投げた疲労は大きい。春先のことゆえ、本来なら肩を休めるのが常識だ。そこをあえて、私は投げた。
今までは多くても週に一度投げるだけで、心身ともにそのペースにはまっている。それでは「あかんで」と、考えたわけ。激しい日程、あるいは連投に耐えうる肉体に改造するんだと、70歳は考えたのだった。2イニング投げた。初回に4点、2回には3点、右に左に長打を飛ばされた。体は重いし、ボールはスピードないし、もうあかん。おまけに右肩の三角筋が痛み出した。やばいことこのうえなし。
翌20日は背中、腰が固まって痛いくらいになった。もちろん完全休養。確定申告の資料集めで気持ちをごまかして、それ以外はひたすらコタツで横になる。21日も体がだるい。野球の疲労じゃなかったら新型コロナの疑いする持つような疲れ?だが、肉体改造に挑戦する立場としては休むわけにはいかない。試合2日前の筋トレを省略することは出来ない、と思った。そして前日、つまり昨日は軽い短距離走とネットピッチングを実施して、今日の2戦目に挑んだというわけ。
「今日ちゃんと投げられたら、オレはすごいで」。初回はポテンを含む3本のヒットを打たれたが牽制でアウトを取ったこともあって0点に抑えた。2回は三者三振、乗ってきたぜ。投手経験のある人ならわかってくれる。月投げて、木また投げて、中3日でまた登板、この過酷さを。そして3回、不運なあたりと2つのエラーでまたしても一挙5失点。もうわたしには集中力は残っていない。その回で降板させてもらった。結果は0-16の敗戦。
こんな試合がしばらく続くだろう。だがうれしいことがあった。相手チーム(宝塚)の選手が塁上でわたしに語ってくれる。「君が投げたら打てないわ」「いいピッチングだね」なんて。この言葉を糧に次回登板までリフレッシュするか。26(木)還暦のゲームがあるし、そうだ休んでなんかいられんぞ。肉体改造のせいで脚力が向上した。若い肉体になっている、確かに。
だが、しかし、この頻度の野球で「オレの仕事は野球だ」なんて言えるわけがない。野球以外の日は西脇市旧図書館の地下室でわたしはひとり、戦後、日米球界の架け橋として活躍した故・今里 純氏の資料と格闘しながら(これがまた膨大な量なので)目録づくりに取り組む。50箱まで整理が進み、あと一歩まで来た。その今里さん、わたしと同じ場所、球場に足跡を残されている。ミネアポリスのメトロドームではチケット売り場、記者席と同じ場所に。ロサンゼルスではドジャースタジアムのクラブレストランで。宿泊はマリーナ・デル・レイに。リッツ・カールトンなどには泊まれないが、ホテル前をランニングしてたから、わたしは。
古希・還暦野球を楽しんで、他の日々は大リーグの資料に接する毎日。やっぱり、職業は「野球」かな。職業人がエラーをぼやいたらよくない。2つ負けたから、資料が膨大だから、と意欲減退なんて恥ずかしい。シーズンは始まったばかり。今里資料は世界が相手。頑張るしかないじゃないか、仕事なんだから。
(写真は、マリーナ・デル・レイ、シカゴのコミスキーパーク、メトロドーム。わたしも歩いた場所です)
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