世界からスポーツが消える~新型コロナ

 世界中を恐怖と混乱に陥れて、新型コロナの蔓延は止まらない。日本政府の対応に腹を立て、国民は自分の身を守る術を探している。そんな中スポーツの世界では、野球もサッカーも、バスケットボールや水泳、陸上競技、ゴルフのトーナメントも、すべて中止や延期に追い込まれた。もちろん還暦・古希野球も活動休止で、またまたながいオフ・シーズンが戻ってきてしまった。我々から野球を取ったら「ただのおじいさん」。国の内外からスポーツが消えた。

 中小企業の社長は「現状が半年、いや三か月続いたらどこも倒産する」という。プロ野球の解説者も今は年間契約ではない。1本の出演につき10~30万円の報酬と聞くから、生活に困るOBが出ても不思議ではない。国民の生活の苦しさはもちろん、外出の自粛が延々と続けば人々の心もすさむのではないか、精神を病む人も増えるのではないか、そんな心配にリアリティを感じてしまう日々が連綿と繰り返されている。覚悟して生き延びねばならない。

 コロナ禍はニューヨークや東京だけの事ではなかった。NPO理事長としてわたしが運営の一翼を担う障害福祉事業所のスタッフが発熱などの風邪症状を呈した。11日(土)の夜のこと。微熱、鼻水、くしゃみ。即断で13日~17日の活動を停止し、関係機関に報告しながらLineでスタッフの意見をまとめていった。幸い普通の風邪と診断されたが、明日の日曜日はスタッフ総出で施設の消毒作業を実施する予定である。

 リタイア生活とはこういうものだったのか。夫婦ふたりのゆったりとした時間が流れる。町を行く車の台数も減った。食材は宅配に切り替えた。夜中の強雨は通過しているが、今日は風が強くて陽も差さず、正午前だというのにまるで夕刻のような兵庫県西脇市の風景。急に雨が降ってきた。世の中暗い、なんかスカッとすることはないのか。そういえば今年は野球のない4月15日だったではないか。

 例年なら4月15日はジャッキー・ロビンソン・デー。MLB(大リーグ)では全選手が背番号「42」をつけてプレーするメモリアル・デーなのだ。ロビンソンが黒人初の大リーガーとしてドジャースでデビューしたのは1947年4月15日だった。仕方ない。わたしはネットで「大リーグ~もうひとつのアメリカ史」を検索し(アメリカはこういう歴史をきちんと保存している)ジャッキー・ロビンソンの現役時代の映像を愉しむことにした。同時に一冊の文庫本を読み始めた。タイトルは「ドジャース、ブルックリンに還る」(デイヴィッド・リッツ著、角川文庫)。

 おとぎ話のような作品。二人の若者がドジャースを買い取って、ファンを裏切りロサンゼルスに移転してしまったドジャース(ブルックリンのファンはそう思った)を昔懐かしいニューヨークのブルックリンへ戻すという話。新型コロナで自粛中にはこういうゆったりとした物語に心を浸そう。61ページ、二人の会話。

 「1953年のシリーズに負けたんでここへ(LAのこと)きたんだろう?」「あのろくでなしのチビのビリー・マーチンのせいさ」「そのときのリリーフがクレム・レービンだ」。わたしはクレム・ラバインと呼んでいた。ブルックリン・ドジャースのリリーフ投手だった彼に会ったのは2004年の秋、11月はベロビーチ(フロリダ)のドジャータウン(当時)だった。カーブの投げ方をやさしく伝授してくれたのが印象的だ。99ページではこんな記述もある。

 「しかし、その間に活躍していた他の選手たち、トミー・デービス、マイク・マーシャル、ガーヴィー、ロープス、ラッセル、セイなどなどーは、まるでタイプのちがう選手であり・・・」。二人の若者は自分たちが育ったブルックリン時代のドジャースこそが「本物のドジャース」と言い切る。

 スティーブ・ガーヴィーとはベロビーチで肩を並べて写真を撮り、ベースボールへの愛について言葉を交わした。ビル・ラッセル(元ドジャース監督)とのツーショット、ロン・セイのサインボールもある。わたしは自称「ドジャース・ファミリーの一員」なのだ。主人公の若者は「そう、私はそこにいたのだ、ベロ・ビーチに!」と興奮する。「ここで野球をしているドジャースを私たちは夢にまで見たものだ」といい、「しかもそこにはいたるところに、かつてここでトレーニングに励んだアースキンや、ブリーチャーや、コックスや、レービンの思い出や写真があるのだ」とかつて胸に去来した思い出を語る。

 カール・アースキンも優しい人だった。ダウン症の息子さんをキャンプに同行させ、最終日にはドジャースのユニフォームを着た息子さんと野球を楽しんでいた姿が記憶に残る。白髪のセーター姿、アースキンとわたしの写真。小説の主人公は5月末の行動を語る。「私たちはドジャー・スタジアムの右翼外野を見下ろす観覧席上部にある球団専用のクラブのテーブルの前にすわっていた」と。今は亡き野球の友人クリス(Chris)の招待で、わたしと友人はこのクラブでドジャー・ドッグを食べビールを飲んだことがある。外野芝生でストレッチをする福留選手(当時カブス)の姿が小さく見えていた。

 ベロビーチのドジャータウンでプレーをした。かつてブルックリン・ドジャースの選手として活躍したレジェンドたちと親しく言葉を交わした。わたしはすごい経験をしてきたのだ。よし、新型コロナの流行が鎮まってロサンゼルスを訪れるときは、長女の家族4人と女房を含む6人でドジャースタジアムへ行こう。ベースボールを満喫しよう。そして孫に教えるのだ。「ジージーはドジャース・ファミリーの一員だぞ」と。小説同様にこんなおとぎ話でもしなけりゃやりきれない。静かな一日、小説の続きを読もうとするか。


シニアの昭和史 独り言 (還暦野球スポコラ改題)

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