年齢は関係ないぞ~野球技術の上達

 梅雨の中休みが続いている。還暦・古希野球の練習は雨により二度中止となったが、わたしは四度出席することができた。練習参加のたびに体が引き締まり投球のスピードや精度が増している、と自分だけで信じ込む幸せな男。

 驚きは参加者の数。初練習時の26名から、28名、30名と徐々に増え、6月16日(火)には33名のメンバーが三田谷公園野球場に集まったのだ。新規入団者もいて、「なんだ、この勢いは」と驚かされてばかり。熱気にあおられてか、ピッチングの状態がとてもいい。

 年齢を重ねると毎年微妙にフォームが違ってくる。プロ野球ブルペン捕手から学んだり、ネット上で研究したり、その試行錯誤は若い時代の投球フォームから遠く離れた地点に着地させたようだ。新型コロナによる自粛期間の有効活用というわけだ。小山正明投手(元阪神、大毎)のゆっくりとした投球スタイルが大きく参考になった。小山投手は抜群のコントロールを誇り通算320勝(歴代3位)を達成した大投手だが、シンプルでオーソドックスなそのフォームをユーチューブで繰り返し見ていた。

 打つ方では落合博満。三冠王のタイトルを三度獲得した強打者は語っている。「オレはいつもセンターオーバーのホームランをイメージして打席に立っていた」と。ライト打ちを意識して外角いっぱいの球を待つと内側の球にどうしても食いこまれてショート・ゴロになる。それではと外角を待ちながらポイントを少し前に置くとたまにレフトへいい打球は飛ぶが安定したバッティングができない。「あかんなあ」とつぶやきながら若手(62歳?)を見るとレフトオーバーの派手な打球をバンバン飛ばしている。パワーがあるわ。

 と、そのとき、パッとひらめいた。自分は長距離打者ではない、ヒットの延長が二塁打、三塁打になるタイプ、野村克也、王貞治のホームラン打者がバットを短く握ったように、グリップは一握りあけてセンターを狙おう。「そうや、そうや」と遅まきながら悟ったわけ。

 その後の紅白試合でレフトオーバーの大三塁打が打てた。センター狙いだから最後まで腰が開かずに体が回転したようだ。最近にない飛距離。一塁ランナーだった若手の長距離打者が「ボールが本塁近くに来てからバッと振ってましたよ」と評した。70歳にしてどうやら自分の打撃術に開眼した?ということは、人は何歳になっても技術が伸びるという証明になる。技術の追求に年齢は関係なし!

 夏休みの町対抗少年野球大会に熱中し、早朝から日がな一日、日野小学校の運動場で野球に明け暮れた子ども時代。遊びは野球しかなくて、おやつは芋をふかしたものだけ。村の子どもたちは宿題も忘れて陽が沈むまで天神さんの境内で三角ベース。よく遊んだものだった。強制も、ルールもなく、ただ「遊び」だったその時代の記憶が体に染みついて、今の野球につながっている。

 そういえば元近鉄バファローズの鈴木啓示さん(プロ通算317勝、歴代4位)は下半身の使い方を強調されている。年に一度、西脇市の実行委員会(西脇市軟式野球協会、北播少年野球連盟他)が主催する「鈴木啓示 草魂カップ少年軟式野球大会」(県下32チーム)の来賓として地元へ戻り、学童のプレーに拍手を送ってくれる。カーブの投げ方も直接教わった。大会期間の三日間、わたしは鈴木さんと昼食を共にする。町対抗少年野球で町内の方に食べさせてもらったスイカの味が懐かしいなあと、共通の思い出もあってか話は弾む。プロ野球最後の300勝投手(間違いなくそうなるだろう)は加東市の「大橋ラーメン」が大の好物。

 野球の練習でいいボールを投げた、三塁打も打てた、よし今日は「大橋ラーメン」で鈴木さんを思い出そうかと13:40に店へ。食券購入「スープ濃いめ、チャーシューは赤身」。いっしょのときは互いに二杯食べるラーメンを今日は一杯のみ、860円?。西脇市の甘目スープ「播州ラーメン」とまた一味違って、まさに「癖になる味」だった。満足感に包まれて帰宅、シャワーを浴びてくつろいだとき携帯に着信音が。

 「ス・ズ・キ です。ごぶさたしています」  レジェンドからの電話だった。

 「西脇の皆さんはお元気ですか?明日からやっと開幕ですわ」

 本年1月開催の第8回草魂カップは無事に開催されますかねと意見交換をして、さいごに、N君(新型コロナに罹患して長期入院された元野球選手)は17日間も眠っていた、いい病院で助かったんだよと、元同僚の無事な退院を喜ばれてレジェンドは電話を切った。

 還暦・古希野球の練習、鈴木さんの電話、すべてが野球の技術につながっている。そして、技術は人間の後からついてくる。電話後、わたしはいい一日の幸せをかみしめたのだった。

シニアの昭和史 独り言 (還暦野球スポコラ改題)

輝くシニア発掘~中高年に励ましを~

0コメント

  • 1000 / 1000