やっぱりパンチョ、やっぱりベロビーチ

  はじめに

 友人とわたしが多大な労力をつぎ込んで編纂している「今里純野球コレクション」がラジオ関西のホームページ「ラジトピ」に取り上げられたのは7月8日のことでした。Yさんのその記事はMLBジャパンに届き、某テレビ局のアナウンサーにも知られるところとなったのでした。

 そのアナウンサー氏とは30年前の1990年夏に大リーグ・ツアーでご一緒させていただき、たったそれだけの縁なのに、今回は丁寧な返信も頂戴し、変わらぬ謙虚さにこちらが頭を下げています。「今では5年に一度のアメリカですが、パンチョさんと行ったツアー経験がその後のわたしに大いに役立っています」。アナウンサー氏の都会的センスあふれる容姿を思い浮かべながら、自身の人生を振り返っている次第です。パンチョとは、パ・リーグの広報部長を務められ、ドラフト会議の司会で名をはせた伊東一雄さんのこと。

 小学校の低学年のころ(長嶋茂雄が登場した昭和30年代初め)、校門の東側交差点に接した場所に一軒の貸本屋があって、そこに毎月新刊本がやってきて、わたしは定期購読者として「野球少年」を愛読していました。付録もあり、大リーグ情報も満載の、子ども心をワクワクさせる内容だったと記憶しています。本のためには出費をいとわなかった祖母と両親のおかげです。そうして日米の野球に触れて育った子どもがいつの日かアメリカに赴くのは必然だったとも言えます。

 70歳の今、新型コロナ禍のこの機に、自分の人生の中で「強烈な思い出」となっているアメリカをまとめてみようと思い立ちました。少数の読者と共に、「さあ、フロリダへ!」


 今から書き進めようとしているのは、米国フロリダ州のベロビーチで、約26年にわたってファンに愛されてきた「ドジャーズ・アダルト・ベースボールキャンプ」(以下、ドジャーズ・キャンプと呼ぶ)に二度にわたって参加した体験記録です。

 このキャンプは、ベースボールがシーズン・オフとなる2月と11月に、ドジャーズのかつての名選手をインストラクターとして実施され、7面の球場を持つベロビーチ(フロリダ州)の施設をフルに使って、メジャーリーガーと同じような一週間を過ごすことができるという「夢のような」内容を持っていました。

 ドジャーズのユニフォームを着て、アメリカ人キャンパーたちと終日ベースボールを楽しむことは、野球好きにとってはたまらない経験でしたが、そこにはベースボールと野球という異なった文化の微妙な違いもあって、いわば「アメリカ野球の骨格」ともいうべき基本的な部分に触れることが出来たキャンプでもありました。

 ドジャーズ・グレイト(かつての名選手)がファンに接するときのやさしい態度。彼らは「We Love Baseball」。わたしたちは野球を愛しているから、ファンを大切にするのは当たり前だとさりげなく口にします。早朝から夕刻まで、誠実にキャンパーの世話をするマイナー・リーグの若きコーチは、喫煙もせず、毎日フィットネス・ルームで体を鍛えていました。

 最近は一部で、アメリカ野球の弊害(ドーピング問題やマナーの悪さ、あるいは年俸の高騰や独善的態度など)が指摘されていますが、わたしはベロビーチで、アメリカの監督や指導者がどのようにして教育されて育っていくのかといった、異なる一面を垣間見た思いがしたものです。

 キャンプには、カリフォルニア(ドジャーズの地元)はもちろんのこと、ニューヨーク近郊や、その他全米各地から参加者が集まってきていましたが、リピーターが多いということもドジャーズ・キャンプのひとつの特徴になるでしょう。

 その点でも、メジャーリーグの球団が、どのようにしてファンの心をキャッチし、親子二代にわたってその層を拡大しているのか。その営業努力も興味深く観察することができました。

 それだけに象徴的に感じたのは、2008年8月に実施された北京オリンピックにおける日本野球チームの惨敗です。単に指導陣や選手個々の責任にとどまらず、その国の野球機構の差ではないかと痛感します。日本のプロ野球界では、世界に通用する指導者を組織として継続的に、世代的に育成する努力が遅れており、国際球の採用やストライクゾーンの検討も含めて、その準備が出来ていません。

 多くのファンから注目され、中高生の目標ともなっているプロ野球の中心選手が、オリンピック初戦のキューバに負けた翌日、「頭を丸める」といった行動に出ましたが、これなども、いかにも精神主義的で貧しい発想ではないかと不思議に感じました。さらには韓国選手との勝利への「執念の差」も浮き彫りになりました。

 最後まで対戦相手をほめ称えることなく、審判への不満だけが表面化していたのもオリンピック精神とは相容れないもので、本意ではなかったとは思いますが、日本チームの指導者としては言葉足らずでした。北京オリンピックでの敗戦は、日本のプロ野球界の遅れた部分が露呈したものだといえば言い過ぎになるでしょうか。

 わたしが二度にわたって参加した(2004年、2006年ともに11月)ドジャーズ・キャンプでは、「へたくそ」なプレーヤーもたくさんいました。90歳を超える「おじいさん」選手もいました。だが、ベロビーチには、それらすべての人たちが気持ちよくプレーできる環境が備わっていたように思います。

 この拙い体験記によって、野球ファンのみなさんが、ドジャータウンの風景をまぶたに留めてくださり、ベロビーチで織り成した、多くの人たちのベースボール人生に思いを馳せていただければうれしく思います。

 食後のひと時を、あるいはコーヒーブレイクの憩いのお時間を、この連載とともに過ごしていただければ、田舎の自称・スポーツライターとしては最高の歓びです。どうか最後までゆっくりとお読みください。

             


シニアの昭和史 独り言 (還暦野球スポコラ改題)

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